ぢゅちさんの「今日も日々是内省。」

ストレングス1位に「内省」を持つ内省家が、内なる言葉を綴ります。

嘘をつかずに誠実でいたいと願うことは、ものすごくわがままなことだ。

最近、考えていたこと。

 

「嘘をつかずに誠実でいたいと願うことは、ものすごくわがままなことだ」

 

ということ。

 

これは「誠実でいる」という意識が自分に向いているから。相手にとって誠実であることを目的としてないから。

 

相手を思い、「心配させないように」とか気遣った嘘なら、それはついてもいいんだと思う。

 

それを「常に自分の気持ちに正直でいたい」などというのは、本当にどうしようもなく自己中心的である。

 

すごく反省をしていました。

似ていることと似てないこと。

「ものすごく分かる!」と共感をするところが多いから、自分の心を整えるために観てるのかなぁ。最近、更新があると観てしまってる。

 

もちろん、「あぁ、ここは自分とは違うなぁ」とか、「そういう考え方はしないなぁ」と感じることもあって。でも、やっぱり似ている部分は多い気がする。

 

私はやっぱり「似ている人」に安心感を覚えてしまうんだなぁ。これまでいくつかの海外に行かせてもらい、いろんな人に出会う経験をさせてもらったけれど、やっぱりいろんな刺激を受け入れるのは、私には向いてないんだと思う。

 

ハリウッド映画をほとんど見ないのもたぶんそう。そういう世界があることも受け入れながらも、自分はあまり触れたいとは思わない。

 

社交性が低いこととか、一人の時間が必要だったりすることとか、全てそうなんだよな。多様性があることを受け入れながら、でも、自分の中にあるものが多い物事にやっぱり惹かれる。

 

たぶん、誰しもそういう取捨選択はしているのだろうけれど、究極的に我が儘だから、それが顕著ということなのだろうか。それとも、程度は一般的なのかもだけれど、そういう自分に向き合ってる時間が長いという特性が、「なんて自分は我が儘なんだ」と思わせてしまっているいうことなのだろうか。

 

まあ、根がネガティブなんだろうなぁ。もちろん、それで救われることもあるから、悪いことだとは思ってないけれど。

 

それに、一般的であるかどうかについて、大して問題ではなくて。この動画内でも「みんながやってるからやるというのは、納得できない理由の一つ。」みたいなことが言われているけれど、ここは私が非常に共感するところの一つ。

 

やっぱり似ているんじゃないかなぁと思う。

 

#10 100の質問に答えるぞ!(気合十分) - YouTube

終えたい。そして、始めたい。

この春は自分が長年触れてきたコンテンツが、色々と終了してしまう。

 

漫画、アニメ、ラジオ番組、テレビ番組。

 

出会いと別れの季節ではあるが、どれも数年から十数年触れてきたものであり、それがこれだけ重なってしまうことに「運命思考」の私は何かしらの意味を求めてしまう。

 

いや、違うかな。

 

自分自身が何かしらを「終えたい」と感じているからこそ、そういうものが目につくということなのかもしれない。

 

いずれにしても、自分自身が気になることに共通点のようなものを見出そうとすると、それが自分の心が求めていたりすることだったりする。

 

そう、私は今、終えたいのだ。

 

終えて、新しいことを始めたい。

 

そういう気持ちがあるということを、ちゃんと言葉として残しておきたい。

 

#日々是内省

 

湯船に浸かるようにしている。

最近、湯船に浸かるようにしている。


それは、今年の夏から異常に汗を書くようになってしまっていて、そして自分でも気になるくらい汗の匂いが気になるようになってしまったから。


汗の匂いは、食生活やストレスなどが原因とも言われているけれど、私の場合はそれに加えて、運動不足や冷房による汗腺機能の劣化が原因ではないかと考えている。


そこで、湯船に使ってちゃんと汗をかけるようにすれば、汗はかくけれど匂いが少し軽減するのではないかと考えたわけ。


匂いの方の効果についてはまだ分からないけれど、ちゃんと湯船に浸かって汗をかいてから寝るようになったら、夜中に目が覚めることが少なくなったのは、思わぬ収穫だった。


湯船にはだいたい腰の辺りまでお湯を張り、蓋をしめて、タブレットなどを持ち込んで動画などを見ている。以前はドラマくらいしか見るものがなかったけど、最近はYouTubeを見る習慣を持てるようになってきたので、観るコンテンツは欠かないし、Kindle でマンガや本を読んだりもする。


そうしているうちに額や胸、背中などから汗が滴り落ちてくる。それを感じながら30分くらいは浸かるようにしている。


湯船に浸かるようになると思い出すのが、アニメ新世紀エヴァンゲリオンミサトさんの有名なセリフ、「風呂は命の洗濯よ」というやつ。でも、それを受けて風呂に浸かるシンジくんは「風呂って嫌なことを思い出す方が多いよなあ」と言う。


私はどちらだろう。


基本的にネガティブな私は、頭の中にあることは大抵「嫌なこと」だったりする。だから、当然、お風呂でも嫌なことを考える。ほとんどシャワーで済ますことが多かったこれまでは、シャワーの音に合わせて大声で「アホ」だの「バカ」だの「死ね」だの、暴言を吐いたりもする。


それは他人に向けて言っているようで、そんなことを口に出してしか発散できない自分自身に向かってだったりしていたような気もする。


湯船に浸かるようになってからは、それは少なくなった気がする。というか、音が響くから、そんなことを呟けなくなったのか。そこはまだよく分からない。けれど、嫌なことを考えても、汗とともにそれは流れ出てくれているような気もする。


最近も、ものすごくガッカリするようなことがあって、この文章を書く今も、頭のたぶん90%くらいでそのことを考えている。私は、執着しやすくて、一度、頭から外そうとしてもまた同じことを考えてしまうというようなことがあって、それは他人に話したり忙しくしたりしても、やっぱり元に戻ってきてしまうのだ。


それでも、湯船に浸かっている間は、その毒素みたいなものが汗と一緒な流れ出てくれている感じはあって、お風呂から出た瞬間は、やっぱり以前のシャワーだけのときよりは身が軽くなったような感じがしている。


だから、やっぱりお風呂は命の洗濯なのかもしれないな。

部屋のライトを交換したい。

私はインテリアに興味がある。

とは言っても、センスがある方ではないと思うし、ちゃん勉強もしたことがない。

 

今、部屋で一番直したいのが、ライティング。

 

初めて一人暮らしを始めた鎌倉の家はデザイナーズハウスだったので、部屋のライトは、電球型のダウンライトが備え付けであり、そこから今の家に引っ越してきたときに、まず困ったのが照明器具を持っていないことだった。

 

そのときはあまり深く考えず、「狭い一般的な部屋だったらやっぱりシーリングライトだろう」と、コストパフォーマンスの高いLEDのシーリングライトを購入してしまった。前の家が、部屋の中がちょっと暗かったのが気になっていたことも理由にあった。購入したときは、部屋がとても明るいし、満足はしていた。洗面所の照明とかも、電球色じゃなくて昼白色のLEDに変えてしまうくらい明るくしたかった。

 

でも、最近、家にいることが多くなって、このシーリングライトが部屋をつまらなくしているなと感じるようになってきていた。とは言っても、照明の選び方ってどういう風に選んだらいいのかというのがあんまりよく分からず、安い買い物ではないし、躊躇してしまうところがあった。

 

で、最近お気に入りで見ているこの Tommy さんの動画がとても参考になった。なるほど、フォーカルポイントっていう概念を考えればいいんだ、と。そして、私の考えていたとおり、狭い部屋ではダクトレールのライトが一番手軽にできそう。

 

それから、配線レスのライトも実は気になってた。あんまり物は増やしたくないから、色々と兼用できた方がいいなぁと思っていて、最近、震災の備えとかも考えるようになってきたから、そう考えるとモバイルのライトがいいなぁ、と。

 

メインのライトを交換したら、そういうモバイルのライトを数個購入して、持ち運びながら使うのもいいなぁなんて思ってます。

 

▪️ SUB) 間接照明の選び方・置き方【センスに頼らないインテリア#2】

https://youtu.be/sXlgEs3w3oQ

 

#インテリア

「間違っている」ということ。

「間違っている」ということ。


それは、この時代、この場所に住む多くの人が持っていると思われる価値観によって判断されるもの、私はそういう風に捉えている。


例えば、数十年前の戦争の時代において、敵であるものは殺してしまうのは、「間違っている」という判断はされなかった。


例えば、日本で違法とされていることが、海外では合法であったりもする。

 

例えば、あなたに取って間違っていることは、もしかしたら私に取っては正しいことかもしれない。


「間違っている」というのは、そういうものであるということ。


時代、場所が変われば、「間違っている」と思われていたことが「正しい」とされるかもしれない。


だからって、「間違っていると簡単に言うな」とかは言わない。この時代、この場所において、間違っているということは、やっぱり間違っているんだと思う。それを主張してもいいとは思う。


けれど、「間違っている」ということは、そういう「価値観」と呼ばれるものが前提にあって、それは時間や場所が変われば変わるものであることを知っておくこと、そして、意識しておくことは非常に大事なんじゃないかと思っている。

全部コロナのせいにして逃げられるのなら、今はそれでいいと思う。

なんだか嫌なニュースが目につく。

 

この未曾有の事態にみんな不安定になっていて、何かの判断が誤ってしまっているんじゃないかと感じることが増えてきた。


でも、実はそんなことはなくて、これまで明るみに出てなかったことが、心の内側が明るみに出るようなことになってしまっただけかもしれないとも思うし、倫理観や価値観の変化によるものかもしれないとも思う。


そうなってくると、別にコロナのせいではないのかもしれないけれど、解決できなくて苦しい想いをするのであれば、一旦全部「コロナのせい」として逃げてしまってもいいと思う。そうやって、どうにか苦しさをやり過ごしていかないと、本当に呼吸ができないほどの状態になってしまっている気がする。


間違ったことをするかもしれない。
それはでも、この時代のこの時にある世の中の価値観によって判断されたもの。
そして、その間違いというのは、誰しも身にも起こることかもしれないもの。


間違ったことをしたら叱る。
それは正しいことかもしれない。
でも、どうか、そこに愛情という気持ちを添えた言葉であって欲しい。


全部コロナのせい。
今は本当にそれでいいよ。