初めて「死にたい」と思ったのは、小学校の高学年のことだったんじゃないかと思う。
死ぬのが怖くなかったわけではないから、自死を選ぶことはできなかった。
ただ、生きているということは、楽しいことよりも明らかに辛いことの方が多いと思っていたし、今でも心の底でたぶんそう思っている。
だから、私はその苦行を後世に残してはいけないと思っているし、少なくとも私のような考えを持つ遺伝子を後世に残すよりも、「人生は楽しいものだ」と思う遺伝子が後世に残った方がいいだろうと思うから、やはり私の遺伝子は残してはいけないんのではないかと、そう思うことがよくある。、
その小学校高学年の頃から、私はずっと「生きている」のではなくて「生かされている」という思いを持ち続けている。
様々な災害や悲しい事故が起こり、たくさんの命が失われていく中、未だに自分がこうして生かされてしまっていることには、たぶん意味や天命があるのだと、そう思って生きている。
そして、その意味はきっと死ぬまで分からないのだろうとも思う。それでいいとも思っている。
そんなことを考えながら、自分の命をどう使うのかを日々考えている。
私は果たしてこの仕事を続けていくのだろうか。
今、また迷っている。
自分の命をこの仕事に捧げて良いのだろうかと。
じゃあ、今の仕事を辞めて何をしていくのか。
そう考えたときに、私はやはり「言葉を綴っていく」ことしかできないのではないかと感じ始めている。
言葉で何かを届けることでしか、自分が力を発揮できることはないのではないかと。
だから、その気持ちを今、ここに認めておくことにした。
この後、自分が何を選んで何を選ばないのか、どう変化をしていくのか変化していかないのか、それは分からないけれど、今はただ、それでいいとしておこう。