共感を求められるのが苦手です。例えば、
「あれって大変じゃん!あなたもそう思うでしょ?」
とか
「あの人、嫌だよねー」
とかいう人がいるけれど、私がよく思うのは、
「私はあなたではないし、全てを知っているわけでも、経験しているわけでもない。だから、判断ができません。でも、もし、あなたが辛い想いをしたのであれば、それを支えたいとは思っています。」
ってことがよくあります。そういうことを言うと、
「あなたは冷たい」
と表現されることはよくありました。
でも、私は、共感を示すということは、強い責任感が必要だと思うんです。特に相手が苦しんでいるときに共感してしまうと、相手の苦しみを私も半分背負うということになってしまいます。そして、強い依存関係が生じてしまいます。
その後、私が少しでも相手の意にそぐわない行動を取れば、それが憎しみに変わってしまうことだってあると思うんです。
だから、その覚悟を持って、共感を示すことが必要だと思うので、私はとても慎重なのです。
それは、共感力がないわけでも、想像力がないわけでもないとも思っていて。むしろ想像力が強いからこそ、簡単に共感しちゃいけないと思っているということです。
私も、相手が言っていることが、本当に私が感じていることと同じであれば、全力で共感を示すことはありますし、やはり共感してもらえることを嬉しくも思います。
けれど、共感を示してもらえなかったとしても、「そりゃ、私じゃないんだから仕方ないよね」ともいつも思っていて。
共感というのは、「するもの」であって、「求めるもの」じゃないと思うんです。
それで離れてしまったとしても、自分を偽るくらいの友人関係だったら、私はなくていいと思いますし、むしろ、たくさん共感し合えないことがあっても、なんか一緒にいちゃうだよなー、という人たちを大切にしたいなぁと思っています。
…なんて書いてるけどね、それは心の強いときに言える正論であって、心が弱ってるときにこんなこと言われちゃったら、泣いちゃうよね。私もたぶん泣いちゃう。
そんな私は、どこまでも我儘なんだなあと反省するのでありました(笑)
今日も日々是内省。