ぢゅちさんの「今日も日々是内省。」

ストレングス1位に「内省」を持つ内省家が、内なる言葉を綴ります。

あなたの番ですの考察動画から考えるフリーライドについて。

明日、最終回を迎える「あなたの番です」の考察動画が YouTube でよく見ています。そのとき、「テレビの動画を上げて再生回数を増やすことと」「テレビの内容を利用して動画を上げて再生回数を増やすことの違いは何なんだろう」って考えていました。

 

当然、前者は法的にNGとされています。でも、後者はホームページの登場人物の写真などを利用して投稿をしてもあまり咎められているのを見ません。(厳密には、アウトの部分はあるのでしょうけど)

 

それは何故なのだろうか。

 

大きな違いは、「それをやることによって、私利私欲だけが満たされるのか、それとも素材を利用することで素材の提供者に対する利益にもなっているのか」という点かもしれません。

 

たしか任天堂が、ゲームのプレイ動画の投稿することを容認していましたが、あれは、動画を投稿してもらう事で任天堂のゲームに興味を持ってもら得る可能性も高まるから容認されている、と考えるべきですね。

 

これは「フリーライド」と呼ばれるものの考え方を理解する上で、分かりやすい気がします。

 

以前、経済評論家の勝間和代さんが、メルカリに新刊が出品されることについて不快感を示されていましたが、これも「フリーライドのひとつ」ということですね。

 

▪ メルペイ。青柳直樹代表取締役は、「新しい本を『借りるようにして読む』という、メルカリとメルペイならではの体験を届けられる」と話す、という記事に対する意見。著者及び出版社への敬意がまったくないと考えます。不愉快です。 - 勝間和代が徹底的にマニアックな話をアップするブログ

https://is.gd/pv3eF5

 

ただ、現実には、たくさん本を読みたいとなっても、お金が続かない、という人もいます。

 

だからせめて、読んでこの本は良かったと感じることがあったのであれば、新しく本を買い直したり、他の人に本を勧めたり、良かったことをシェアしたりしたいなと思います。


そして、物品を売る際には、「要らないから売る」というのではなく、「売って頂いた方に感謝をし、どこがどう素晴らしくて、どこが自分と合わなかったから、だから売るんですよ」ということを丁寧にお伝えしたいですね。

 

私たちは、色々なサービスを利用していますが、その裏には沢山の方々の努力があってこそ成り立っていることを忘れてはいけません。


自分がそのサービスを利用するときにおいては、きちんとその努力に対する感謝と対価が、サービスを提供する方々に支払われているかについては、きちんと考える必要があるなぁと感じました。

Time Box と Time Slice の話。

スクラムフレームワークには、スプリントと呼ばれる「固定の時間」があり、その中にセレモニーと呼ばれる様々なイベントがある。


私は毎週の週末に1週間の予定を確認し、計画を立て、食料をまとめ買いをしたりしている。そして、なるべく1週間で食材を使いきり、次の週には持ち込まないようにする。


時間を区切って、計画を立て、行動し、日々進捗を確認しながら、最後に「ゼロ」になっていることをレビューしているのだから、これはもしかして「スクラムフレームワークを使ってると言えるのか?」と一瞬考えてしまった。


でも、それは違う。


ここで出てくるのが昨日のトレーニングで話のあった「Time Slice」と「Time Box」の話。


時間区切っているだけでは「Time Slice」であり、その後に何も積み上がっていかないのだ。


スクラムにおいては「改善」がされていかなければならない。投資したものが積み上がっていくイメージ、それがつまり「Time Box」という考え方だ、ということを教えてもらった。


「なんちゃってスクラム」をやる人たちは、ここの概念がない可能性があるので要注意だし、自分も意識しなければならないなと感じた。

 

#スクラム

アフターケア系慎重さ。

ストレングスファインダーだと、私は「内省」が1位で、「慎重さ」が2位なんだけど、私の「慎重さ」の強みって、「アフターケア系慎重さ」な気がしてきました。

 

もちろん、何か行動を起こす前に、「あれは大丈夫だろうか、これは大丈夫だろうか」とリスクを洗い出したりはする。家電を購入するときなんかは、メジャーで測るのは当然、新聞紙で実際に大きさを作ってみて確認したりもすることもある。

 

でも、仕事においては、瞬発力を求められることがほとんどだし、最近ではアジャイル開発で「とりあえずやってみる」ということを推進してることもあるから、自分の中で小さなことだと判断ができれば、行動を起こす前に過度に考えすぎるということは少なくなってきてる気がします。(それでも初めてのことだったり、苦手なことだったりすると不安になってしまって、まだ全然スピードが遅いことは多々あるけど…)

 

瞬発力で反応してしまったことに対しては、一人になったときに、「あれで大丈夫だっただろうか?」ととても気になってしまいます。

 

やっぱりうまく伝わってない気がするとか、誤解を生んでしまってるかもしれないとか、嫌な想いをさせてしまったかもしれないとか。そうしたら、後で追加でフォローする、ってことがよくあります。

 

大抵、仕事からの帰りの電車の中での考え事は、「今日1日の仕事でまずかった対応はなかっただろうか?」という一人反省会議だし、一つの行動に反響があったりすると、もうずっとそのことばかりを考えてしまったり。2、3日引きずることは普通で、ひどいと1週間くらい考えていて。

 

で、まずいなあと思ったことがあったら、アフターケアを行動として起こす。そして、その間にも当然別の行動をしているので、次から次へと反省は出てくるから、上書きしてるうちに、過去の行動に対して考える時間は徐々に減っていき忘れていく、という循環。

 

このアフターケアがあることに好意を持ってもらったことは何度かあったなぁ、と今朝、とあるアフターケアをしていて考えてました。これは、内省+慎重さの私らしさだと思うので、うまく活かしていきたいです。

自分の才能にフォーカスする。

こんにちは、ぢゅちです。

 

他人の才能が羨ましくなることってありますよね。

 

そんなとき、最近私は、

 

「時間は有限で全てのことはできない。自分にも他人から見たら羨ましいと思われるような才能があるはず」

 

と言い聞かせて、自分の才能にフォーカスするように意識をしています。

 

ただ、その才能が自分の幸せに結びついていないように感じるのであれば、何かしら環境を変化させる必要があるんでしょうねー。

 

今日も日々是内省。

真っ当で必要な事って、つまらない。

こんばんは、ぢゅちです。

 

先程、テレビのニュースで、コメンテーターがまあ正論だよね、と思うことを言っていました。うん、そうだよね、とは思いながらも、この人つまらない人だなぁ、と思っている自分がいました。

 

もうちょっと視聴者の感情に寄り添ってもいいんじゃないか、とも思ってしまったのです。

 

でも、それもちょっと違うのかもしれません。

 

そういえば、この間観た「最後から二番目の恋」の再放送でこんなセリフがありました。

 

正論ばかりいう長倉和平(中井貴一)に対して、妹である水谷典子(飯島直子)さんが、

 

「お兄ちゃんは正しいことしか言わないからつまらない。そう想う人」

 

と他の人に同意を求めるのです。そんなときに、ご近所に住む吉野千明(小泉今日子)がこういうのです。

 

「真っ当で必要な事って、つまらないんですよ、きっと。」

 

だから、そのコメンテーターを非難するのも違うなぁ、と感じたのでした。

 

今日も日々是内省。

ハーフ&ハーフ。

こんにちは、ぢゅちです。

 

内省型の人は常に内に声を秘めています。

 

例えば、駅で電光掲示板を見て。

 

「次は各停だけど、その次は急行か。各停は途中駅までしか行かないから、結局、そこで降りて後続の急行に乗ることになるのかな。あ、でも、別の路線の乗り入れがあるはずだから、そちらの電車に乗れるかもしれないな。次の電車は途中駅までだから、きっと空いてるはずだし座れるぞ。とりあえず、乗ってしまおう。」

 

こんなことを10歩程度歩く間に考えています。これは、内省型なのでしょうか、慎重型なのでしょうか、それとも分析思考なのでしょうか。

 

うーん、たぶん、ミックスでしょうね。

 

そういえば、最近では、ハーフのことを「ミックス」とか「ダブル」とか言うらしいですね。何だかまだ慣れなくて、耳に入ってから理解するまで少しの時間がかかります。

 

「ダブル」ってことは、身長が2倍にでもなるのでしょうか。「ハーフ&ハーフ」の方が良くないか。これだったらたし算して1になるし。

 

頭の中はこんな言葉たちが溢れています。

 

今日も日々是内省。

「郷に入りては、郷に従え」は正しい?

こんばんは、ぢゅちです。

 

私の後輩に韓国出身の子がいます。

 

大学から日本に来ていて、既に10年以上になるため、日本語はほとんど支障がないように見えます。だから、どうしても日本人に対する接し方と同じ感じで話をしてしまいます。

 

会社では、上司、私、後輩の順で横並びに席が配置されています。例えば、私と上司が話をしていたとします。その流れで、後輩に「ねぇ、聞いてた?」と話を振ることがあります。そういうときに、後輩は大抵話を聞いていません。

 

私が若手だったときは、「先輩の背中を見て勉強しよう」という気持ちが強かったので、そういうときにもすぐに話について行くことができました。逆に、聞いていなかったことにした方がよさそうなことは、聞いていたとしても、敢えて「聞いていないふり」をしたりもしていました。

 

だから、後輩が話を聞いていなかったりすると、「なんでもっと関心を持って聞かないんだろう、向上心ないな」とか思ってしまい、ガッカリしてしまいます。

 

学習意欲がないのか、興味がないのか。ストレングスファインダーを受けてもらったり、いろいろと勉強してみるのですが、なかなか私の腑に落ちる答えが見つかりません。

 

私も以前は海外出張が多く、一人で海外に行っているときもあったので、そのときのことを思い出してみることにしました。自分以外の誰かが話をしているとき、どうしてたか。そして、気付いたのです。

 

「あ、そうか、誰かと話していても、意識してないと耳からは自然には入ってこないわ!そういうことか!」

 

彼にそのことを聞いてみたら、やはりそうでした。日本語は意味は理解できるけど、意識しないと耳から自然に入ってくるレベルではない、と。だから、反応が鈍かったんですね。

 

彼は本当に日本語が上手だし、日本人と一緒の感じで接しても大丈夫であろうと、私が甘えてしまっていたのです。とても反省しました。

 

 

私のチームは海外のメンバーが他にも何人かいて、いろいろとコミュニケーションの問題は発生します。それは、言葉が通じないというよりは、文化の問題のような気がしています。


例えば、以前一緒に働いていたインドのメンバーは「知らないことを知らないと言わない」傾向がありました。それは、決して、「プライドが許さない」という類のものではなく、


「分からないことでも、自分の考えを伝えることの方が相手にとってメリットになるかもしれない。それが正しいかどうかを検証するのは、聞く側の問題だ」


というスタンスなのだそうです。だから、間違っていても平気で答える、というような感じになるそうです。


そんなとき、


「日本で働いているのだからこうした方がいい。」


とアドバイスをしてしまうことがよくあります。


でも、これ、最近は、なんか、間違っているような気がしているんです。


共通言語を持たないのは、どちらか一方の問題ではなく、両方の問題です。だから、


「日本で働いているのだから、日本のマナーに従えよ。郷に入りては郷に従え。」


というのは、とても傲慢なんじゃないかと思うのです。私たち自身も彼らのことをもっと勉強するべきではないでしょうか。

 


今日も日々是内省。