ぢゅちさんの「今日も日々是内省。」

ストレングス1位に「内省」を持つ内省家が、内なる言葉を綴ります。

自分の才能にフォーカスする。

こんにちは、ぢゅちです。

 

他人の才能が羨ましくなることってありますよね。

 

そんなとき、最近私は、

 

「時間は有限で全てのことはできない。自分にも他人から見たら羨ましいと思われるような才能があるはず」

 

と言い聞かせて、自分の才能にフォーカスするように意識をしています。

 

ただ、その才能が自分の幸せに結びついていないように感じるのであれば、何かしら環境を変化させる必要があるんでしょうねー。

 

今日も日々是内省。

真っ当で必要な事って、つまらない。

こんばんは、ぢゅちです。

 

先程、テレビのニュースで、コメンテーターがまあ正論だよね、と思うことを言っていました。うん、そうだよね、とは思いながらも、この人つまらない人だなぁ、と思っている自分がいました。

 

もうちょっと視聴者の感情に寄り添ってもいいんじゃないか、とも思ってしまったのです。

 

でも、それもちょっと違うのかもしれません。

 

そういえば、この間観た「最後から二番目の恋」の再放送でこんなセリフがありました。

 

正論ばかりいう長倉和平(中井貴一)に対して、妹である水谷典子(飯島直子)さんが、

 

「お兄ちゃんは正しいことしか言わないからつまらない。そう想う人」

 

と他の人に同意を求めるのです。そんなときに、ご近所に住む吉野千明(小泉今日子)がこういうのです。

 

「真っ当で必要な事って、つまらないんですよ、きっと。」

 

だから、そのコメンテーターを非難するのも違うなぁ、と感じたのでした。

 

今日も日々是内省。

ハーフ&ハーフ。

こんにちは、ぢゅちです。

 

内省型の人は常に内に声を秘めています。

 

例えば、駅で電光掲示板を見て。

 

「次は各停だけど、その次は急行か。各停は途中駅までしか行かないから、結局、そこで降りて後続の急行に乗ることになるのかな。あ、でも、別の路線の乗り入れがあるはずだから、そちらの電車に乗れるかもしれないな。次の電車は途中駅までだから、きっと空いてるはずだし座れるぞ。とりあえず、乗ってしまおう。」

 

こんなことを10歩程度歩く間に考えています。これは、内省型なのでしょうか、慎重型なのでしょうか、それとも分析思考なのでしょうか。

 

うーん、たぶん、ミックスでしょうね。

 

そういえば、最近では、ハーフのことを「ミックス」とか「ダブル」とか言うらしいですね。何だかまだ慣れなくて、耳に入ってから理解するまで少しの時間がかかります。

 

「ダブル」ってことは、身長が2倍にでもなるのでしょうか。「ハーフ&ハーフ」の方が良くないか。これだったらたし算して1になるし。

 

頭の中はこんな言葉たちが溢れています。

 

今日も日々是内省。

「郷に入りては、郷に従え」は正しい?

こんばんは、ぢゅちです。

 

私の後輩に韓国出身の子がいます。

 

大学から日本に来ていて、既に10年以上になるため、日本語はほとんど支障がないように見えます。だから、どうしても日本人に対する接し方と同じ感じで話をしてしまいます。

 

会社では、上司、私、後輩の順で横並びに席が配置されています。例えば、私と上司が話をしていたとします。その流れで、後輩に「ねぇ、聞いてた?」と話を振ることがあります。そういうときに、後輩は大抵話を聞いていません。

 

私が若手だったときは、「先輩の背中を見て勉強しよう」という気持ちが強かったので、そういうときにもすぐに話について行くことができました。逆に、聞いていなかったことにした方がよさそうなことは、聞いていたとしても、敢えて「聞いていないふり」をしたりもしていました。

 

だから、後輩が話を聞いていなかったりすると、「なんでもっと関心を持って聞かないんだろう、向上心ないな」とか思ってしまい、ガッカリしてしまいます。

 

学習意欲がないのか、興味がないのか。ストレングスファインダーを受けてもらったり、いろいろと勉強してみるのですが、なかなか私の腑に落ちる答えが見つかりません。

 

私も以前は海外出張が多く、一人で海外に行っているときもあったので、そのときのことを思い出してみることにしました。自分以外の誰かが話をしているとき、どうしてたか。そして、気付いたのです。

 

「あ、そうか、誰かと話していても、意識してないと耳からは自然には入ってこないわ!そういうことか!」

 

彼にそのことを聞いてみたら、やはりそうでした。日本語は意味は理解できるけど、意識しないと耳から自然に入ってくるレベルではない、と。だから、反応が鈍かったんですね。

 

彼は本当に日本語が上手だし、日本人と一緒の感じで接しても大丈夫であろうと、私が甘えてしまっていたのです。とても反省しました。

 

 

私のチームは海外のメンバーが他にも何人かいて、いろいろとコミュニケーションの問題は発生します。それは、言葉が通じないというよりは、文化の問題のような気がしています。


例えば、以前一緒に働いていたインドのメンバーは「知らないことを知らないと言わない」傾向がありました。それは、決して、「プライドが許さない」という類のものではなく、


「分からないことでも、自分の考えを伝えることの方が相手にとってメリットになるかもしれない。それが正しいかどうかを検証するのは、聞く側の問題だ」


というスタンスなのだそうです。だから、間違っていても平気で答える、というような感じになるそうです。


そんなとき、


「日本で働いているのだからこうした方がいい。」


とアドバイスをしてしまうことがよくあります。


でも、これ、最近は、なんか、間違っているような気がしているんです。


共通言語を持たないのは、どちらか一方の問題ではなく、両方の問題です。だから、


「日本で働いているのだから、日本のマナーに従えよ。郷に入りては郷に従え。」


というのは、とても傲慢なんじゃないかと思うのです。私たち自身も彼らのことをもっと勉強するべきではないでしょうか。

 


今日も日々是内省。

他人の振り見て、我が振り直す。

こんにちは、ぢゅちです。 


内省の強みは、他人に非があると思うときに、「果たして自分はどうだろう」と考えられるところだと思います。


昨日は、こんなことがありました。


先週リリースしたマニュアルに対するクレームが上がってきたのです。それもたかだか10ページくらいのドキュメントに対して10個も…。


確かに、マニュアル通りに実行しても動かない、とかそういうのもあり、それらに対しては問題があったと思います。検証が足りなかったと謝るしかありません。


しかし、10個中8個は「誤字がある」とか「ここではこの文言は不要ではないか」とか、直さなくても別にマニュアルを使って操作しても問題が発生しないようなもの。例えば、 "an" とすべきものが "a" になってるとか。


もう一つのポイントは、そのマニュアルって、エンドユーザーに届くものではなくて、内部でしか利用しないもの、なんですよね。それも一度使ったら使わないもの。

 

だから、それらのクレームに対しては、「だから何なの? "an" が "a" になっていたら、だれか困るのですか?それで何か問題が発生するのですか?このやり取りに時間をかけていること自体が無駄だとは思いませんか?」って感じでした。


一番イライラしてしまったのは、それらを全て「問題だ(バグだ)」と表現してクレームしてきたこと。あー、もう、くだらない!!!


…と、ここで内省くんの登場です。


「果たして自分はどうだろうか。相手に対して不快な言い方、表現をしていないだろうか。」


と。そう考えながら冷静さを取り戻していき、


「あー、この喧嘩を買ってはいけない。そもそも、彼の立場では『それらが取るに足らないこと』だと気付いてないのかもしれない。こういう表現の仕方が相手に不快感を与えているってことにも気付いてないかもしれない。だから、自分はそういう回答をしないようにしよう。でも、実際、今、自分は不快感を感じているし、そのことは口にしないと伝わらないと思う。だから、そのことだけはちゃんと伝えよう。」


そんな風にして内省していくのです。他人の振り見て、我が振り直す。


今日も日々是内省。

モヤモヤしたら、内省型の人に話を聞いてもらおう。

こんにちは、ぢゅちです。

 

内省型の人って、常に内側に言葉を持っていて、自分と向き合うことが多いので、感情や気持ちを言葉として表現することが上手いと思う。

 

私もよくあるのですが、友人と話をしていて、

 

「うーん、これって何て言えばいいのかなぁ、こうこう、こういう感じなんだけど。うまく言えない!」

 

って言われたことを、

 

「それってさぁ、こうこう、こういうことじゃない?」

 

って言い換えてあげると、

 

「そうそう、それ!あー、すっきりした」

 

みたいなことをよく言われます。自分がモヤモヤしているとき、内省型の人に話を聞いてもらうと、もしかしたら、すっきりと心に考えていることを言葉にしてくれるかもしれませんね。

 

今日も日々是内省。

「変化しなければならない」という想いだけは変化させてはいけない。

こんばんは、ぢゅちです。


今日は、仕事で知り合ってから7年くらい経つ友人と5時間のサシ飲みでした。


「〇〇(私の名前)にだったら話をしてもいい」


と、仕事や恋愛のことをたくさん話してくれました。彼は普段、なかなか自分の話をしてくれないので、新たな一面が見れてとても新鮮で楽しかったです。

 


そんな今日の飲み会の中で、私から出てきた名言(?)がこれでした。


「『変化しなければならない』ということだけは変化させてはいけない」

 


私、今仕事で新たなチャレンジをしています。その想いは上の人にも伝わっていると想うし、取り組みに対する評価はまだ出ていませんが、「新たなチャレンジをしていること」に対しては、それなりに評価としてくれていると思っています。


話をした彼にも、


「それはとてもいい上司だね。〇〇が上に行ってくれたら、大きな変革をもたらしてくれそう」


と評価をしてくれました。そして、彼は続けて、


「その上司たちってさ、〇〇を良いと評価できるくらいの人たちだから、〇〇と同じくらいの年代だったとき、同じくらいのモチベーションを持っていたんだろうね。なんで変わっちゃったんだろうね。」


と言いました。私はちょっと違うんじゃないかなと思うんです。


「彼らは『変わらなかった』んじゃないかな。彼らが上に上がったときは、『その時の時代、その時の価値観』で、彼らは評価されて上に上がったんだと思う。


でもそれは、あくまでも『その時代、その価値観によって良いとされたもの』であって、『今の時代、今の価値観において良いとそれるもの』ではないんだと思う。


でも彼らは、過去に良いと評価をされた価値観を今でも続けてるんじゃないかな。だって、やっぱり評価してくれたときのことが正解だった思うじゃない?だから、今の若い人たちから見ると、『何か理想とは違う煙たい人たち』になってしまっているんだと思う。


人はその時代に合わせて変化しなければいけないし、『変化しなければならない』ということだけは変化しちゃいけないんじゃないかな。


でもさぁ、変化したら変化したで、『アイツは上に上がったら変わった』とか言われちゃうんだよね(苦笑)

 

だから、そういうことを言われても仕方がないと、覚悟できている人が上に上がるべきだと、俺は思うよ。」


生きるって大変ですね。


今日も日々是内省。